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福岡高等裁判所 平成2年(ネ)212号 判決 1990年8月30日

主文

一  原判決(ただし、差戻前の当審判決で変更され確定した部分を除く。)を次のとおり変更する。

二  被控訴人は、控訴人高口代司子に対し金八四三万二五一五円、同高口典子、同高口善朗に対し各金四二一万六二五七円及び右各金員に対する昭和五八年四月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  控訴人らのその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、第一審、差戻前の第二審、上告審(ただし、被控訴人が差戻前の当審判決に対し上告したことによる分を除く。)、差戻後の第二審を通じてこれを四分しその三を被控訴人の、その余を控訴人らの負担とする。

五  この判決は第二項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  控訴人ら

1  原判決(主文記載の確定部分を除く。)を取り消す。

2  被控訴人は、控訴人高口代司子に対し金二六六〇万三七八三円、同高口典子、同高口善朗に対し各金一三三〇万一八九二円及び右各金員に対する昭和五八年四月一五日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は第一審、差戻前の第二審、上告審、差戻後の第二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  訴訟費用は第一審、差戻前の第二審、上告審、差戻後の第二審とも控訴人の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  訴外高口清の死亡までの経過

(一) 被控訴人は、昭和五七年一一月当時福岡市中央区<住所略>において、「西式ヘルスドック」、「健康を守る会」または「岩本治療室」の名称で、いわゆる断食道場を開業していたものである。

(二) 高口清(昭和二二年二月一五日生、以下「訴外清」という。)は、昭和五七年八月一二日福岡県大牟田市内の曙病院において糖尿病と診断され、同日から同年九月一七日まで同病院に入院し、同月一八日から同年一一月一三日まで同市内の済生会大牟田病院に入院してそれぞれ治療を受け、同月一四日から自宅で治療した後、同年一二月一日から勤務先の国鉄大牟田保線支区に復帰して、軽作業に従事するまでに病状が回復したが、なおインシュリン注射と飲み薬を欠かせない状態であった。

(三) 訴外清と妻の控訴人代司子は、糖尿病が断食道場で治療を受けて治ったという話を聞き、昭和五七年一二月一日被控訴人経営の断食道場を訪れ、被控訴人に対し前記のこれまでの病状、現在前記の薬剤を注射及び服用していること等を詳細に説明した。被控訴人は、断食治療について話をする際、右訴外清及び控訴人代司子に対し、ここでは西洋医学の薬は使わないで治すので、インシュリンの注射や飲み薬は必要ない、一七年間も何千人もの人を治してきた、絶対大丈夫といった。

(四) 訴外清は、被控訴人の言葉を信用して、同年一二月八日被控訴人経営の断食道場に入寮(以下「入院」という。)した。訴外清は、その際洗面具、下着、湯飲み等の身の回りの品を持参したが、病院からもらっていた飲み薬やインシュリンは、被控訴人の言葉に従い持参しなかった。訴外清は、右薬を持参しなかったことを被控訴人に告げた。被控訴人は、訴外清に対して四一日間の入院治療が必要であると説明し、訴外清は、入会金として五〇〇〇円、入院費用(一日七〇〇〇円の割合による)の一部前渡金として九万五〇〇〇円の合計一〇万円を被控訴人に支払った。

(五) 訴外清は、入院した同年一二月八日にローリング機や温冷浴(冷水と温水に交互に浸かる)等を受け、食事は予備断食ということで、昼、夜とも玄米がゆをどんぶり茶碗一杯、梅干し二個を与えられた。訴外清は、同日からインシュリンの注射はしなかった。

(六) 同月九日、訴外清は、朝から温冷浴等を受けたが、このころから鼻水やくしゃみが出るようになって風邪気味となり、電話をかけた控訴人代司子に対しても鼻声で応答するほどであった。これに対し、被控訴人に「最初は誰でも風邪をひく」といって特に注意は払わなかった。

(七) 同月一〇日、訴外清の体調はますます悪化し、夕方電話した控訴人代司子にも声がよく聞きとれないほどで、電話の声からもその異常がはっきり分かった。そこで控訴人代司子は直ちに被控訴人に訴外清の異常を伝えたが、被控訴人は大丈夫というのみであった。被控訴人は、同夜遅く同室の入院者から訴外清の様子がおかしいとの通報を受けたが、何らの措置もしなかった。

(八) 同月一一日早朝、治療のため階下に下りてくるはずであった訴外清が起きてこず、同室の入院者から訴外清の容態が尋常でないという報告を受け、被控訴人は同日午前八時三〇分ころになってようやく訴外清の部屋に行ったが、とりたててなんらの処置もとらず、救急車の手配をするだけであった。午前九時二五分ころ救急車が到着したときは、訴外清は既に危篤の状態であり、直ちに救急車で近くの沼田病院に運ばれたが、既に手遅れで、同日午前一〇時五〇分ころ死亡した。

(九) 訴外清は、沼田病院の医師沼田毅の診断によれば、死因は糖尿病を原因とする心不全とされ、翌一二日久留米大学医学部病理学教室による病理解剖の結果によれば、断食中に急性心不全を来たし、肺出血により死亡したもので、その原因は断食中にインシュリンの投与を受けなかったために高血糖を来したことにあるとされた。

2  被控訴人の責任(次の(一)、(二)は択一的)

(一) 契約による責任

(1) 訴外清と被控訴人は、健康回復を目的として断食法による指導を受けるという、いわば断食指導契約ともいうべき契約を締結したものである。したがって、被控訴人は、入院した者に対して、その病気治療のため最善を尽すべき義務はもちろん、入院中の健康管理、指導には十分な配慮をすべき義務がある。断食の身体に及ぼす影響に対しては十分適切な注意義務が求められ、入院者の多くが慢性病等を有する病人であることからすれば、この健康管理義務は医師のそれに準ずる程度に重大なものである。

(2) しかるに、被控訴人は、次のとおり尽すべき注意義務を怠り、その結果訴外清を死亡するに至らせた。

<1> 前記のとおり、被控訴人は、訴外清から同人が重篤の糖尿病患者である旨の説明を受けたにもかかわらず、インシュリン等の西洋医薬は使用しないので必要がないといい、その言葉に従って訴外清が入院に際し右の薬を持参しなかったことを承知しながら、格別の注意も与えなかった。被控訴人は、過去多くの糖尿病患者を断食療法で治したというのであるから、糖尿病に対するインシュリンのもつ効用、必要性、インシュリンを中止した場合にこれが健康に及ぼす影響などについては知悉していたはずであり、インシュリン注射を常用する糖尿病患者がその注射を中止すると、高度のインシュリン不足を生じ、たちどころに全身倦怠感、喉の渇きなどから意識喪失を伴って、二、三日のうちに昏睡に陥り、ついに死に至るという危険が生ずるのであるから、訴外清を入院させ、断食療法を開始するにあたって、医薬を使用しないのであれば、入院を拒否するか、入院させるのであれば右医薬を使用しつつ食事療法を施すなどの措置を指示すべき義務があるのに、これを怠ったものである。

<2> 被控訴人は、前記のとおり、昭和五七年一二月一〇日から翌一一日の早朝にかけ、控訴人代司子や同室者から訴外清の体調の異常を訴えられているのであるから、直ちに訴外清にその体調を質し、インシュリン注射を打っているかどうか確認し、注射を中止しているのであればそれを原因とする体調の異常であることは容易に察しうるところであるから、即時に応急の措置をとるとともに、場合によっては医師の指示を求めるなど容態の変化に応じ適切な措置をとるべき健康管理義務がある。しかるに、被控訴人は、訴外清に対する右義務を怠り、同人が死亡する直前までなんらの措置もとらなかった。

(二) 不法行為責任

(1) 被控訴人は、断食療法による治療を業とする者であり、その経験からして糖尿病患者に対するインシュリン注射の効用、必要性、インシュリン注射を中止すると高血糖をきたし昏睡に陥り死に至る危険を招来するものであることを充分承知していたし、また、断食療法により病気等の治療にあたっている者として当然知っておくべきであった。しかるに、被控訴人は、昭和四七年一二月一日、訴外清及び控訴人代司子に対し、訴外清がインシュリン注射と飲み薬を常用する糖尿病患者であることを知りながら、ここ(断食道場)ではインシュリンや飲み薬などの西洋医学の薬剤を使わない自然療法で治すと強調し、自然療法で治ると安心させ、訴外清らに右の薬は不要であり、入院治療にはむしろ薬を持ってきてはいけないと信じ込ませたばかりでなく、入院に際し、訴外清に医者と相談をしてきたかどうか、薬を持参しているかどうか、また入院後薬を使用しているかどうかについて何ら確認をしないで、その結果前記のような経過で同人を死亡させた。

(2) 被控訴人は、断食療法による治療を業とする者でありながら、入院者たる訴外清に対して前記(一)記載のとおり尽くすべき注意義務を怠った過失により同人を死亡させたものである。

(3) したがって、被控訴人は、民法七〇九条、七一〇条により右訴外清の死亡による損害を賠償すべき責任がある。

3  訴外清の死亡による損害

(一) 訴外清の逸失利益

訴外清は、当時日本国有鉄道に勤務し、昭和五七年一年間の収入は合計二九七万〇一七二円であり、就労可能年数を六七才までとし、生活費を三〇パーセントとして、ライプニッツ係数を用いて逸失利益を算定すると、三二八五万六三三九円となる。

(二) 訴外清の慰謝料

訴外清は三五才の若さで死亡したが、妻子を残して死亡した無念さは多大なものがあり、これを慰謝するには一〇〇〇万円が相当である。

(三) 控訴人らの慰謝料

控訴人代司子は突然の夫の死亡により悲嘆の毎日を送っており、幼い子供を抱え、今後の生活に対し途方にくれている。また控訴人典子、同善朗も、頼もしい父親を失い悲しみの中にある。これら控訴人らの悲しみを慰謝するには、控訴人代司子に対し一〇〇〇万円、控訴人典子、同善朗に対し各五〇〇万円が相当である。

(四) 相続関係

控訴人代司子は訴外清の妻、控訴人典子、同善朗はいずれもその子であり、訴外清の右(一)および(二)の損害賠償債権を相続により承継した。

よって、控訴人代司子の損害賠償債権額は三三四二万八一六九円、控訴人典子、同善朗のそれは各一六七一万四〇八五円となる。

(五) 弁護士費用 合計四〇〇万円

控訴人らは本件訴訟を控訴人訴訟代理人に委任し、報酬として、控訴人代司子は金二〇〇万円、控訴人典子、同善朗は各金一〇〇万円を支払うことを約した。

(4) 結論

よって、被控訴人に対し、控訴人代司子は金三三四二万八一六九円のうち前記判決確定部分を除く金二六六〇万三七八三円、控訴人典子、同善朗は各一六七一万四〇八五円のうち前記判決確定部分を除く各金一三三〇万一八九二円、及び右各金員に対する本件訴状送達の日の翌日である昭和五八年四月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払を求める。

二  請求原因に対する被控訴人の認否

1  請求原因1・(一)の事実は、被控訴人が「岩本治療室」の名称を使用していることを否認し、その余の事実は認める。

2  同1・(二)は知らない。

3  同1・(三)は、訴外清が被控訴人に対して、自己が糖尿病に罹患している旨の説明をしたことは認め、被控訴人がインシュリンの注射や飲み薬は必要ないといったことは否認し、その余は知らない。

4  同1・(四)は、訴外清が飲み薬及びインシュリン等の薬を持参しなかったことは不知、持参しなかったことを被控訴人に告げたことは否認し、その余は認める。

5  同1・(五)のうち、訴外清がインシュリンの注射をしなかった点は不知、その余は認める。

6  同1・(六)、(七)は否認する。

7  同1・(八)は、訴外清が治療のため階下に下りてくるはずであったこと、被控訴人が取り立ててなんらの処置もとらなかったこと、救急車の到着時刻を否認し、その余の事実は認める。

8  同1・(九)は認める。

9  同2はすべて否認する。

10  同3の(一)ないし(三)は不知、(四)のうち身分関係は認めるがその余、及び(五)は知らない。

三  被控訴人の主張

1  被控訴人の経営する断食道場は、断食を通じて健康の維持回復をはかることを目的とするもので、病気の治療そのものを目的とするものではない。被控訴人は医師法に違反する医療行為にわたるようなことをしたことはない。

したがって、被控訴人は、断食自体から生ずる健康上の問題について注意義務を負うのみで、それ以上に医師と同等ないしこれに準ずるような病気の治療についての注意義務はない。

2  訴外清は、インシュリンの注射を欠かさないこと、これを怠れば生命の危険があることは医師から注意を受けて十分に知っていたはずである。それにもかかわらず、訴外清は敢えてインシュリンの注射を中止したものであり、これは訴外清の自損行為ともいうべきものであって、被控訴人に責任はない。

3  高血糖昏睡で病院に担び込まれる患者で救命できなかったものはないといわれている。したがって、訴外清の死亡については沼田病院の医療過誤が介在している疑いが強く、仮に被控訴人に何らかの過失があるとしてもその過失と訴外清の死亡との間に相当因果関係がない。

4  仮にそうでないとしても、医師の注意を無視して敢えて危険なインシュリンの注射を中止した訴外清の過失は重大であり、本件損害の算定に当たって相当の過失相殺がなされるべきである。

四  被控訴人の主張に対する控訴人らの答弁

被控訴人の主張はいずれも争う。

第三  証拠関係<省略>

理由

一  次の事実は当事者間に争いがない。

l 被控訴人は、昭和五七年一一月当時控訴人ら主張の場所において、「西式ヘルスドック」または「健康を守る会」の名称で、いわゆる断食道場を開業していたものである。

2 被控訴人経営の断食道場に入院する前に、訴外清が被控訴人に対して、自己が糖尿病に罹患している旨の説明をした。

3 訴外清は昭和五七年一二月八日被控訴人経営の断食道場に入院した。被控訴人は訴外清に対して四一日間の入院治療が必要であると説明し、訴外清は入会金として五〇〇〇円、入院費用(一日七〇〇〇円の割合による)の一部前渡金として九万五〇〇〇円の合計一〇万円を被控訴人に支払った。

4 訴外清は、入院した同年一二月八日にローリング機や温冷浴(冷水と温水に交互に浸かる)等を受け、食事は予備断食ということで、昼、夜とも玄米がゆをどんぶり一杯、梅干し二個を与えられた。

5 同月一一日早朝、訴外清が起きてこず、同室の入院者から訴外清の容態が尋常でないという報告を受け、被控訴人は同日午前八時三〇分ころ訴外清の部屋に行った。やがて救急車が到着したときは、訴外清は既に危篤の状態であり、直ちに救急車で近くの沼田病院に運ばれたが、同日午前一〇時五〇分ころ死亡した。

6 訴外清は、沼田病院の医師沼田毅の診断によれば、死因は糖尿病を原因とする心不全とされ、翌一二日久留米大学医学部病理学教室による病理解剖の結果によれば、断食中に急性心不全を来し、肺出血により死亡したもので、その原因は断食中にインシュリンの投与を受けなかったために高血糖を来したことにあるとされた。

二  訴外清の死亡までの経過及び原因について、<証拠>に、前記当事者間に争いのない事実、弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。<証拠判断略>

1  被控訴人は、私立三菱工業学校電気科を卒業後、昭和一五年に野一色電気医学校(治療士を養成する学校で、弱電低周波の電気治療を教えるところ)を出て治療士となり、昭和三二年に西医学(西勝造が昭和二年に創始した自然療法を主とした東洋医学をいう。)の資格(ただし、医師法による医師の資格ではない)を取得し、昭和四〇年から前記場所において、「西式ヘルスドック」、「健康を守る会」または「岩本治療室」の名称を使用して、いわゆる断食道場を開業していたが、平成二年六月頃これを閉鎖した。

同道場は、ビルの四階と五階にあり、四階は四六坪(約一五一平方メートル)くらいのワンフロアーで、温冷浴室、各種治療機等を置いた治療室になっており、五階は、入院者の寝起きする部屋、食堂、被控訴人の居室兼宿直室などがあり、二DKの部屋が七室で、ベッド数は二四であった。被控訴人の他に助手一人と賄い婦二人がいた。ただし、医師や看護婦の資格を有するものはいなかった。

本件断食道場において断食療法を受ける者は、一年間に約一四〇人から二〇〇人くらいあり、その殆どは慢性の病気の治療を目的として来ていたものである。そして、入院期間は、被控訴人が断食療法を受ける者から症状や健康状態等を質問したうえ、被控訴人が決定していた。

2  訴外清は、昭和五七年八月一二日福岡県大牟田市内の曙病院において糖尿病と診断され、同日から同年九月一七日まで同病院に入院し、同月一八日から同年一一月一三日まで同市内の済生会大牟田病院に入院して、それぞれ糖尿病の治療を受け、同月一四日から自宅で治療した後、同年一二月一日から勤務先の国鉄大牟田保線支区に復帰して、軽作業に従事することになった。訴外清は、右大牟田病院から糖尿病手帳の交付を受け、同手帳には糖尿病の基礎知識が記載され、かつ、治療経過が順次記入されることになっている。

訴外清の病状は、血糖値の変動がかなり激しい不安定型の糖尿病であり、またインシュリン依存型の糖尿病であって、食事療法、運動療法をしたうえ、定期的に血糖値を検査して、インシュリンの投与により血糖をコントロールする必要があり、常時インシュリン注射と飲み薬を欠かせない状態であった。そのため、訴外清は、右済生会大牟田病院を退院する前、同病院の医師からインシュリン注射の必要性と自己注射の方法についての指導を受け、退院後は同病院から一定量のインシュリンと注射器の交付を受け、これを使用して自ら自己の身体に右の注射をするようになった。そして、訴外清は、右のコントロールができてさえおれば、通常人と変わらない程度の社会生活を営むことが可能な状態にあったが、もし断食をすると、それに応じた血糖のコントロールが必要であり、この点について何らの指針もなく断食に入ることはそれ自体危険であり、特にインシュリン注射を中止することによってインシュリン不足を生じた場合、たちどころに高血糖になり、全身倦怠感、喉の渇きなどから段々意識を失って大体二、三日で昏睡状態に陥り、死の危険が発生するので、訴外清がインシュリン注射を中止するということは極めて危険なことであって、現代医学では到底考えられないことであった。

3  訴外清と妻の控訴人代司子は、知人から断食道場が病気のために効果があるという話を聞き、訴外清の糖尿病に対しても効果があるかどうかなどを確かめるため、昭和五七年一二月一日被控訴人方を訪れた。そして、訴外清らは、被控訴人に対し前記のようなこれまでの病状、前記の薬剤を注射及び服用していること等を詳細に説明し、被控訴人経営の断食道場でこの糖尿病が治るかどうかを尋ねた。被控訴人は、断食療法によって右糖尿病は治る、今まで何人も糖尿病を治してきた、といい、そして、ここでは西洋医学の薬は一切使わずに治すので、病院からもらっているインシュリンの注射や飲み薬は必要ない、といった。

被控訴人は、糖尿病患者も入院させて治療しており、糖尿病における低血糖、高血糖、インシュリンの効用等についてかなりの知識を有していた。

4  訴外清は、医師から生涯治らないといわれた糖尿病が、被控訴人は治るというので、多分に疑問を抱きつつも、被控訴人の言葉を信用して、同年一二月八日被控訴人経営のいわゆる断食道場(ヘルスドック)に入院することにし、同日入院した。訴外清は、入院の際、洗面具、下着、湯飲み等の身の回りの品を持参したが、病院からもらっていた前記の飲み薬、インシュリンや注射器は、被控訴人の前記必要がないとの言葉に従い持参しなかった。被控訴人も訴外清が右の薬を持参しているかどうかについての確認をしなかった。被控訴人は、訴外清の病状等から、同人に対して四一日間の入院治療が必要であると説明し、訴外清は、入会金として五〇〇〇円、入院費用(一日七〇〇〇円の割合による)の一部前渡金として九万五〇〇〇円の合計一〇万円を被控訴人に支払った。

5  訴外清は、入院した同年一二月八日にローリング健康機(マッサージ等をする)や温冷浴(冷水浴と温水浴を交互にする)等の療法を受け、食事は予備断食ということで、昼、夜とも玄米がゆをどんぶり一杯、梅干二個を与えられた。そのほか「酵素」なる飲物(原審における被控訴人本人の供述によれば、「酵素」は、野菜、薬草、果物、海草等のエキスであるという。)を与えられた。訴外清は、被控訴人の言葉に従い同日からインシュリンの注射はせず、飲み薬も飲まなかった。

6  同月九日、訴外清は、朝から温冷浴等の治療を受けたが、このころから風邪気味となり、控訴人代司子に対する電話の声も鼻声であった。これに対し、被控訴人は「最初は誰でも風邪をひく」といって何の処置もとらなかった。

7  同月一〇日、訴外清の体調はインシュリン不足から次第に悪化し、夕方控訴人代司子に対する電話の声も弱々しくよく聞きとれないほどであった。そこで控訴人代司子は直ちに電話で被控訴人に訴外清の容体が異常ではないかと尋ねたが、被控訴人は大丈夫というのみであった。しかし、同日夜、訴外清が、体調も弱々しい感じで、喉が渇くといって頻繁に水を飲みに起きるなどしたため、同室の入院者の小野健士らが、異常に思い、二度にわたってそのことを被控訴人に知らせたので、被控訴人はその都度訴外清の部屋に様子を見に行ったが、訴外清に「大丈夫か」等と尋ねただけで、格別の処置をしなかった。

8  同月一一日早朝、同室者の小野健士らが治療に行こうと訴外清を誘ったが、同訴外人は、少し異常ないびきをかいて寝ており、顔色も悪く、声をかけても反応がない等、異常な状態と感じられたので、前記小野らは直ちにその旨を被控訴人に連絡した。被控訴人は、同日午前八時三五分ころ訴外清の部屋に行き、訴外清の前記状態を見て、低血糖による昏睡ではないかと判断し、前記「酵素」約四〇ccを飲ませ、羊羹を三、四センチに切って一口食べたが、状態が改善しないので、直ちに救急車を呼んだ。

午前九時ころ救急車が到着したときは、訴外清は、既に危篤の状態であり、救急隊員による人工呼吸などの手当を受けた後、九時三〇分ころ救急車で近くの沼田病院に搬送されたが、既に手遅れの状態であり、人工呼吸、心臓マッサージ、インシュリン注射、輸液等の手当を受けたが、同日午前一〇時五〇分同病院で死亡した。

9  訴外清は、沼田病院の医師沼田毅の死亡診断書(<証拠>)によれば、死因は糖尿病を原因とする心不全とされ、翌一二日久留米大学医学部病理学教室による病理解剖の結果(<証拠>)によれば、直接の死因は肺浮腫、肺出血及び無気肺によるものであるが、その原因は、それまで連日投与を受けていたインシュリンの注射を、前記断食中に中止したために高血糖による昏睡を来したことによるものとされた。

三  以上認定の事実に基づき、まず、控訴人ら主張の不法行為の成否について判断する。

被控訴人が本件断食道場で施した断食療法は、断食を通じて慢性病等の治療をしその健康の維持回復を図ることを目的とし、被控訴人が入院者に対しその健康状態、病状等を質問して入院期間を決定するものであって、診療というべきものであり、その内容も一定期間、一切又は特定の飲食物を摂取しないことを基本方法とするものであり、その期間の長短、摂取を禁ずる飲食物の種類、量等や入院者の体質、病歴、症状、体調のほか、施術者の医学知識の有無、程度などのいかんによっては、入院者を死に至らせることになったり、病状を更に悪化させる虞れのあることが当然に予想されるものであるから、医師の資格を有しない被控訴人としては、訴外清のような重篤な糖尿病患者で医師の指示のもとでインシュリン注射や飲み薬を常用する者を入院させるに当たっては、断食療法の可否について事前に担当医師の指示を受けてくるように指示する義務があり、医師の指示を受けず、かつ、医師の指示による投薬を中止して入院する者に対しては、入院後の容態に細心の注意を払い、病状悪化の徴候がある場合には、直ちに施術を中止して専門医の診断を受ける機会を与えるべき義務があるというべきである。

しかるに、被控訴人は、前記の各注意義務を怠り、昭和五七年一二月一日、訴外清及び控訴人代司子に対し、訴外清が医師の指示によりインシュリン注射と飲み薬を常用するかなり重い糖尿病患者であることを知りながら、断食療法の可否につき担当医師の指示を受けるよう指導しなかったばかりか、断食療法により糖尿病は治る、インシュリン注射や飲み薬は必要ないと明言し、この言葉を信用した訴外清が、同月八日飲み薬、インシュリンや注射器を持参しないまま入院し、同日から右注射等を中止したため、インシュリン不足を生じ、高度の高血糖状態になり、ついに昏睡に陥って同月一一日死亡するに至ったものである。さらに、被控訴人は、訴外清の右入院から同人が死亡する直前まで同人がインシュリン等の薬剤を持参しているかどうかを確認せず、また同月一〇日夜には控訴人代司子や同室の入院者から訴外清の容態が異常ではないかとの知らせを受けたのに、単に同人に「大丈夫か」といったのみで、インシュリン不足により高血糖状態に陥っていく同人の容態の変化に対する注意を怠り、危篤状態に陥る直前まで何らの措置もとらなかったものである。

被控訴人は訴外清の死亡は沼田病院の医療過誤が介在している旨主張するが、被控訴人の立証並びに本件の全証拠をもってしても右主張の医療過誤を認めるに足りない。

そうすると、訴外清の死亡は、被控訴人の前記注意義務違反によるものであることが明らかである。

よって被控訴人は右不法行為に基づき訴外清の死亡による損害を賠償する責任がある。

四  もっとも、訴外清の方も、被控訴人が医師でないことは知っていたのであり、被控訴人がいう断食療法で糖尿病が治るということには、多分に疑問を抱きつつも、一縷の望みをかけて同療法を受けようとしたのであるから、現に治療を受けインシュリンの注射等を指示していた医師に対して、インシュリン注射等を中止しても危険がないかどうか、断食道場による療法を受けても健康上別状がないかどうか等を事前に相談すべきであったにもかかわらず、これをしないで、漫然と被控訴人の言葉を信用して、インシュリンの注射は必要ないものと考え、医師の指示に反して、その注射を中止したため本件死亡事故をひき起こしたものであるから、同事故発生につき訴外清にも過失があるといわざるをえない。

しかし、前記認定のとおり被控訴人の前記の注意義務に反する行為により本件事故が惹起されたものであるから、訴外清が事前に前記の相談しないまま医師の指示に反して注射を中止したからといって、これを同人の一方的な自損行為であって被控訴人に責任がないということはできないものはもとより、訴外清の責任の方が被控訴人の責任よりも重大であるということもできない。

訴外清の右過失は損害賠償額の算定に当たり考慮すべきものである。そして、以上認定した諸事情を総合して判断すれば、本件死亡事故発生に対する被控訴人と訴外清との過失の割合は七〇パーセント(被控訴人)対三〇パーセント(訴外清)と認めるのが相当であるから、これを損害額から控除すべきである。

五  そこで本件事故に基づく損害額について判断する。

1  訴外清の逸失利益について

<証拠>によれば、訴外清は事故当時三五才の男子で、国鉄大牟田駅の保線支区に勤務し、昭和五七年一年間の給与は合計二九七万〇一七二円であり、本件事故がなければ、その後労働可能と考えられる六七才までの三二年間は、右と同程度の収入を得ることができたものと認めるのが相当である。もっとも、前記認定のとおり、訴外清は、本件事故前に既に糖尿病に罹患していたものではあるが、事故直前は退院して通常の勤務に戻り、軽作業に従事しつつ稼働し始めたときであったこと、<証拠>によれば、糖尿病は、体質に基づく病気であって、体質は一生変わらないから、将来完全に治癒するということはなく、生涯療養を必要とする病気であるが、薬物療法、食事療法、運動療法等により常に血糖値等をコントロールしてゆけば、通常人と変わらない生活ができ、特に労働能力が減少するものではないことがみとめられる。

<証拠>によれば、訴外清一家は同人と妻の控訴人代司子、未成年の子の同典子、同善朗の四人家族であり、控訴人代司子もパートタイマーとして働きに出ていたが(年収一一八万〇九一〇円)、訴外清が一家の支柱をなしていたことが認められ、訴外清の前記収入のうち同人の生活費の占める割合は四〇パーセントと認めるのが相当であるから、これを逸失利益額から控除すべきである。

そこで、訴外清の得べかりし利益の事故当時の現価をライプニッツ方式により中間利益を控除して算定すると、次の計算により二八一六万二五七六円(円未満切り捨て。以下同じ。)となる。なお一五・八〇三は三二年のライプニッツ係数である。

2,970,172×(1-0.4)×15・803= 28,162,576

そして、前記認定のとおり、本件事故における訴外清の過失の割合が三〇パーセントであるから、過失相殺として、右損害額からこれを控除すると一九七一万三八〇三円となる。

2  慰謝料について

前記認定のとおり、訴外清は、三五才の若さで、妻子を残して死亡したこと、控訴人らは、一家の支柱ともいうべき夫または父親を失ったことにより、多大の精神的苦痛を受けたことは容易に推認することができ、以上に認定の諸事情(本件事故発生について前記の訴外清の過失を含む。)を総合して判断すれば、右の精神的損害に対する慰謝料は、訴外清について四〇〇万円、控訴人代司子について二〇〇万円、控訴人典子、同善朗について各一〇〇万円と認めるのが相当である。

3  訴外清と控訴人らとの身分関係については当事者間に争いがないから、訴外清の右五の1の逸失利益及び同五の2のうち訴外清の慰謝料の各損害賠償債権については、控訴人代司子が二分の一(逸失利益九八五万六九〇一円、慰謝料二〇〇万円)、その余の控訴人が各四分の一(逸失利益四九二万八四五〇円、慰謝料一〇〇万円)をそれぞれ相続したことになる。

4  弁護士費用について

控訴人らは、本件訴訟の提起を余儀なくされ、その訴訟追行を弁護士たる控訴人ら訴訟代理人に委任したことは記録上明らかであり、同代理人に相当額(ただし後記認容する額を下らない額)の報酬の支払いを約したことが推認でき、本件事案の難易、請求額、認容された額等諸般の事情を斟酌すれば、そのうち本件事故と相当因果関係ある損害と認め得る額は、控訴人代司子一四〇万円、同典子、同善朗各七〇万円とするのが相当である。

六  ところで差戻前の当審判決(昭和六一年(ネ)第一三四号)のうち控訴人ら勝訴部分(被控訴人は、控訴人高口代司子に対して金六八二万四三八六円、同高口典子、同高口善朗に対して各金三四一万二一九三円及び右各金員に対する昭和五八年四月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払いを命じた部分)については、被控訴人において昭和六三年四月一三日上告したが、最高裁判所は平成二年三月六日上告棄却の判決(昭和六三年(オ)第九六一号)をし、右判決は確定したこと、そして支払いを命じられた金員の内訳は、控訴人高口代司子分は訴外清の逸失利益の相続分四二二万四三八六円、訴外清の慰謝料相続分一〇〇万円、同控訴人固有の慰謝料一〇〇万円、弁護士費用六〇万円、同高口典子、同高口善朗分は前記の順に各二一一万二一九三円、各五〇万円、各五〇万円、各三〇万円であることは当裁判所に顕著である。

そうすると、控訴人らの各請求は、控訴人代司子については訴外清の逸失利益相続分五六三万二五一五円(九八五万六九〇一円-四二二万四三八六円)、訴外清の慰謝料相続分一〇〇万円(二〇〇万円-一〇〇万円)、固有の慰謝料一〇〇万円(二〇〇万円-一〇〇万円)、弁護士費用八〇万円(一四〇万円-六〇万円)の合計八四三万二五一五円、同典子、同善朗については右順に各二八一万六二五七円(四九二万八四五〇円-二一一万二一九三円)、各五〇万円(一〇〇万円-五〇万円)、各五〇万円(一〇〇万円-五〇万円)、各四〇万円(七〇万円-三〇万円)の合計四二一万六二五七円及び右各金員に対する本件不法行為後である昭和五八年四月一五日から支払い済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いをもとめる限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却すべきである。

七  よって、これと異なる原判決(ただし、差戻前の当審判決で変更され確定した部分を除く。)を変更して、控訴人らの各請求をいずれも右の限度で認容し、その余を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 佐藤安弘 裁判官 川畑耕平 裁判官 簑田孝行)

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